最近、自分の中でちょっとした変化を感じる。
それは自分にとって「ちょうどいい焦点距離」。
少し前までは迷いなく50mmを選んでいたが、
最近は35mmの方がしっくりくるのだ。
(決して50mmが嫌いになったわけでも、
撮らなくなった訳でもない)
これは単なる画角の違いではなく、
写真との向き合い方が少しずつ変化してきたからだと思う。
はじめに
50mmは「標準レンズ」と呼ばれる。人の見たままの距離感に近く、構図の意図がそのまま写真に出る。
だからこそ、撮るときにはいつも気合いが入っていた。構図も光も、きっちり決めてからシャッターを切る。そうしないと「甘い写真」になってしまうような気がしていたのだ。
ところが最近は、35mmばかり使っている。
これは、肩の力を抜いて撮るようになったからかもしれない。
変化の理由
思い返すと、最近(ここ数年で)下記3点が変わったように思う。
- 被写体 (子供→風景やスナップ)
- トリミングへの抵抗がなくなった
- 余白や無駄があってもいいと思うようになった
まず、被写体が変わった。かつては子どもの写真ばかり撮っていたが、今はスナップが中心になった。街の風景や日常の一場面を撮るとき、35mmの方が自然にその場に溶け込める。
次に、RAW現像でトリミングをするようになったこと。昔は「撮ったままが正義」だと信じていたが、今は「後からPCの大きな画面で整えること」を受け入れられるようになった。
そして最後に、年齢のせいもあるだろう。写真に「余白」や「無駄」があってもいいと思えるようになった。かつては「写真は引き算」という言葉に囚われすぎていたのかもしれない。
50mmと35mm、それぞれの性格
50mm
50mmの良さは、対象をしっかり見つめる感覚にある。フレーミングが狭い分、撮るときに「意図」が明確になる。被写体との距離感も近く、写真にストレートな気持ちが乗る。
一方で、少しでも構図がずれると雑に見えたり、撮影者の迷いが浮き彫りになったりもする。つまり、誤魔化しがききにくいように思う。
35mm
35mmはその点、自由だ。視野が広く、空気感や余白を含めやすい。街のリズムや偶然の重なりをそのまま写し取るにはちょうどいい距離だと思う。
ただ、広さゆえに散漫になりやすく、主題を見失いやすいという難しさもある。それでも、いまの自分にはその「曖昧さ」「自由さ」「緩さ」が心地いい。画面の中に、迷いや曖昧さ、周囲の説明的要素を残せることが、むしろ写真を豊かにしてくれる気がしている。
おわりに
50mmから35mmへ――この小さな変化は、自分の心の変化でもある。
「伝えたいことを絞り、きちんと撮ること」から、「その場を感じること」へ。
構図の正確さより、空気の流れや余白の温度を残したいと思うようになった。
焦点距離を変えたことで、写真との距離も少し変わった。
いまの自分には、35mmのゆるやかな視野がちょうどいい。
またいつか50mmに戻る日が来るかもしれない。けれど今は、この曖昧で、自由な視界の中で、もう少し迷ってみたいと思っている。
参考
以下に、焦点距離35mmと50mm、それぞれのオススメ単焦点レンズをご紹介します。
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