機材が与えてくれた安心感
これまでの私は、大きくて重いレンズを何本も持って撮影に行っておりました。撮影技術に自信が持てない私にとって、高性能な機材は大きな心の支えでした。機材の中でも特にレンズは最高峰のものを持つことで、撮れる写真のクオリティが上がると信じ、何より「このレンズがあれば大丈夫」という安心感を得られたのです。
ニコンZマウントに移行したのも、そのような理由でした。NIKKOR Z 24-70mm f/2.8 Sや70-200mm f/2.8 VR Sといったフラッグシップレンズを揃えたのは、自分のスキル不足を補うためだけではありません。これらを手にすることで、少しばかり気持ちが大きくなり、自信をもってシャッターを切ることができたのです。
しかし、最近その気持ちは少し変わりつつあります。
※本記事にはアフィリエイトリンクを含みます。ご了承ください。
完璧さから個性へ
歳をとるに連れ、「写真における画質の重要度は、それほど高くないのでは?」と、感じるようになってきたのです。むしろ、収差や周辺減光といった、一般的に「レンズの欠点」とされる描写のある写真にこそ、味わいや個性が宿っていると感じるようになったのです。
「私は、写真を通じて、一体何を表現したいのだろうか?」
自分に、漫然と問いかける機会が、少しずつ増えていきました。娘の運動会やピアノ発表会、家族旅行での写真、愛犬の幸せそうな表情、街角の何気ないスナップ…たくさん撮ってきました。いつも高性能レンズが支えてくれました。どれも大切な瞬間で、今後も続けていくつもりです。ただ、娘の高校進学というひとつの区切りがついた今、ふと我に返ると、『私自身、私「個」として、この先、何をどのように撮っていこうか?』という問いが、頭をよぎるようになりました。
それ以上に、これまで写真を通じて表現したかったのは何だったのだろうかと自問自答する日々。もしかしたら、それは懐かしさや温もり、光と影が織りなす雰囲気だったのかもしれません。
また、レンズに触れ、その重みや質感を感じることも、私の中で楽しみの一つとして重要度が増していくのでした。
新しい写真観
そんな中で、私は「Voigtländer ノクトン50mm f/1.2 Aspherical VM」というレンズと出会いました。驚くことに、マニュアルフォーカスレンズです。しかし、スペックでは語り尽くせない、独特の空気感と情緒が、私の心を強く惹きつけました。
大口径のレンズは、目の前の光を優しく受け止め、開放F1.2ではピントの合った部分が瑞々しいほどシャープに描写される一方、その周囲は信じられないほど滑らかで柔らかなボケが広がります。まるで写真に命が吹き込まれたかのような、深みと味わいを感じさせてくれるのです。
このレンズを手にすると、自然と一枚一枚を丁寧に撮りたくなります。もともとせっかちで、忙しなく撮っていた私としては、信じられない心境の変化です。被写体と向き合い、光と影の微妙な表情を見極めながら、フォーカスリングをゆっくりと回す。その適度なトルク感や、絞りリングの心地よいカチカチというクリック音が、私の感性に響き渡り、その瞬間瞬間の気持ちを高めてくれるのです。
まるでライカのような「良い道具」を手にしているという喜びと、自分の手で一枚の写真を創り上げるという充実感。ノクトン50mmとの出会いは、単焦点レンズの奥深さを再度教えてくれ、また、改めて写真を撮る楽しさを思い出させてくれたのです。
自分に響く一枚を求めて
これまで私は、ズームを中心にニコンの純正レンズを揃え、あらゆる場面に対応できるようにしていました。しかし、その中で、自分が本当に写し撮りたいもの、心で表現したい世界が、少しずつ霞んでいっていたのだと気づきました。
ノクトン50mmとの出会いは、私に大切なことを教えてくれました。完璧さだけが写真のすべてではない。むしろ、揺らぎや不完全さの中にこそ、心を揺さぶる何かが宿るのだと。ここでいう完璧さとは、(私の技術や写真のことではなく、機材の性能を指しています)
これからは、レンズという道具が放つ個性や手に触れる質感に、もっと心を傾けたいと思います。もちろん、時には鋭さや高い性能が求められることもあるでしょう。それでも、一つの道具とじっくり向き合い、共に歩むことで初めて見えてくる景色がきっとあるはずです。
これからも、私の感性と道具との対話を大切にしながら、自分の写真観の変化を楽しみつつ、この旅路を進んでいきたいと思っています。
参考
以下に「Voigtländer NOKTON 50mm F1.2 Aspherical Ⅱ」のリンクを貼っておきます。ご興味のある方は、是非チェックしてみて下さいね。
コメント