写真のテーマ性について

マインド

はじめに

これまでも何度か考えたことだが、写真を撮り続けていると、ふと「自分が撮る意味とは何だろう」と立ち止まる瞬間がある。SNSを覗けば、もっと上手い人が、もっと素晴らしい作品を次々に発表している。そんな中で、自分の写真はただの雑多な一枚に埋もれてしまうのではないか、そう思うと「私がやる意味」を見失いそうになるのだ。

では、どうすればその有象無象の中から頭ひとつ抜け出せるのだろうか。そのために重要なのは、自分の写真に明確な方向性を与えることだ。つまり、写真に「テーマ性」を持たせるということだ。

テーマ性が写真にもたらす力

1枚の写真は点に過ぎない。だが、テーマを通して写真を並べると、線や面のように作品全体に方向性や必然性が生まれる。バラバラに投稿していたら埋もれてしまう写真も、テーマを意識してまとめれば、強いストーリーを持つ。

さらに、テーマ性のある作品は、見る人の心に響きやすくなる。単発の「上手い写真」をいくつ見せるよりも、「あるテーマを追い続けている人」の写真には、継続性と独自性を感じ、人の心を惹きつける力がある。

つまり、テーマ性を意識することで、写真に意味を吹き込むことができるのだ。

心惹かれる3つのテーマ

自分自身の好みや撮りためた写真を振り返ると、特に惹かれるのは「人」そのものや、「人の生き様」だと思った。そこで、改めてそれらについて考えてみたところ、私が表現したいのは、以下の3つではないかと思う。

① 日常の営み
「人」や「人の生き様」を最も強く感じられるのは、日々の暮らしそのものだ。洗濯物や食卓の跡、街角での会話、工房での手仕事。そこには「特別な瞬間」ではなく「その人にとっての当たり前」が写り込む。
また、匠の営みもその延長線上にある。何十年も続けられてきた技や所作は、本人にとっては日常の仕事であっても、見る側には積み重ねられた時間と誇りが伝わってくる。
こうした「日常の営み」に目を向けることで、人が生きる姿をもっとも素直にとらえることができるのではないだろうか。

② 場と文化が持つもの
人の気配は、個人にとどまらず「場」や「文化」にも刻まれる。その土地ならではの建物や街並み、祭りや共同作業などの風習は、人々が何世代にもわたって築き上げてきた世界観の結晶だ。
例えば、祭りの準備で賑わう屋台や、路地裏の神社に残された飾り物には、人が集まり続けてきた歴史が宿る。土地に根づいた文化は、そこに暮らす人々の存在そのものを映し出している。
つまり「場と文化」をとらえることは、「人」や「人の生き様」をより大きな文脈の中で表現することなのではないだろうか。

③ 時間の痕跡
人が直接写っていなくても、時間や不在は「人の存在」を雄弁に語る。磨り減った石段や古びた看板、波に消されていく足跡。そこには確かに人が生きた証が刻まれている。
また、飲みかけのカップや使い込まれた椅子のように、今そこに人はいないのに強く想像させる「余白」もまた、人の気配を伝える重要な要素だ。
さらに、取り壊し前の建物や散りゆく花びらのように「消えゆく営み」に触れるとき、人の存在の儚さまでもが浮かび上がってくる。
痕跡や余白を写すことは、存在そのものを撮る以上に、人の生きてきた時間を物語っている思うのだ。

もう一歩、前へ踏み出してみよう

人々の生き様、何世代にもわたって築かれてきた世界観、そして積み重ねられた時間──。それらを一枚の写真に封じ込めることができたら、どんなに素晴らしいだろう。

とはいえ、言うは易しだ。実行するのはそう簡単ではない。街中でいくらスナップを重ねたところで、それだけでは1mmたりとも①〜③に近づけないだろう。

一歩先へ進むためには、被写体との距離を詰める必要がある。つまり、人々の生活空間に少なからず足を踏み入れるということだ。何者でもない今の私がそれを試みたとき、果たして人々はどんな反応を示すだろう。歓迎してくれるかもしれないし、拒まれるかもしれない。多くは怪訝な表情をされるのではないだろうか。

それはそうかもしれない。ただ、それでも飛び込んでみよう。これまでの人生で培ってきた、柔和な人柄を武器にして。そうすれば、きっとさまざまな反応に出会えるだろう。その一瞬一瞬を写真に収めることができたら、私の写真はきっと変わる。大きく、確実に変わるはずだ。

──やってみよう。

おわりに

現状、被写体と私の間には、空間的、時間的、心理的な、色んな隔たりがある。

少しだけ勇気を出して、距離を詰めてみよう。

きっと私の写真は変わるはず。

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