撮れないとき、ふくらむのは物欲だけじゃない
写真をしていると、ついカメラやレンズが気になってしまいます。
撮ることよりも、「次に欲しいもの」に心が向いてしまう時期があります。
それはたいてい、撮りに行けないときです。
天気が悪い日、体調がすぐれない日、仕事に追われている日。
カメラに触れられない時間が続くと、
写真への気持ちが、物欲というかたちで顔を出すのです。
でも、久しぶりに撮りに出かければ、
それは嘘だったかのようにすっと静かになる。
やっぱり、撮ることこそが一番の薬なのです。
でも今日は、「だから撮ろう」という話ではございません。
気になる自分は悪くない
カメラやレンズが気になるのは、ごく自然なことだと思います。
なぜなら、写真を続けていく中で——
どんな描写なのか、どんな光を描けるのか、
自分の見た景色を、どれだけ美しく写してくれるのか、
知りたくなるのは当然のことだからです。
大切な人の笑顔を、もっと素敵に残せるかもしれない、
あのときの色、あの光を、少しでも近づけるかもしれない、
そんな気持ちが、心の奥で動いているのです。
それは「表現する人」すべてに共通すること
写真を愛する者が、カメラやレンズを欲しくなるのは、
決してわがままや浮ついた気持ちではないと思います。
(そういう部分があるのも事実ですが)
絵描きは筆や絵の具、キャンバスを選びます。
野球選手はグラブやスパイクにこだわるでしょう。
音楽家は弓やピックアップを、
料理人は包丁の感触や鍋の温度に敏感になるのです。
良い道具に心が動くのは、
表現に向き合う者にとって自然なことだと思うのです。
物欲の奥にあるもの
それは、ただの物欲ではなく——
探究心。
好奇心。
そして、向上心。
もっと良く撮りたい。
もっと心を込めたい。
もっと、大切なものを残したい。
そんな想いがあるから、また次の何かを探してしまうのです。
撮れない日があっても、撮りたい気持ちが残っているかぎり。
写真を続けるということ
撮れない日。
迷う日。
欲しくなる日。
それら全部を含めて、
「写真を続ける」ということなのかもしれません。
気になる機材のことを考える時間もまた、
きっと写真の一部なんだと思います。
撮れない日も、悩む日も、写真の一部。
そう思えるだけで、ちょっと前を向ける気がします。
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