誰しもが 語れど持てぬ 赤バッジ シャッター切るが 如くポチれば

ライカ"持たざる者"シリーズ

はじめに

タイトルに持ってきた句は、とある “持たざる者” の ライカ愛を詠んだ短歌です。

世の中の多くの人が熱く語るけれど、
たとえ語れても、なかなか「持つ」には至らない——
それが、あの ライカの象徴・赤バッジ

カメラのシャッターを切るように、
何も考えずにポチることができたなら、
どんなに楽になれることだろう。
どんなに幸せなことだろう。

そんな読み手の切実な心情を表した、実に味わい深い一句です

…はい、これは何を隠そう、
私自身が、私のことを詠んだ句であります。 はい(笑)

そんな“持たざる者”の私が、
これから数回にわたり、

シリーズとしてライカの魅力をじっくり深掘りしていきます。

今回はその第一回目ですので、
ライカへの熱い思いをねちっこく語る回にしたいと思います。

“持たざる者” のライカ愛

ただ、眺めるだけで心が躍る

ライカには、不思議な魔力が宿っています。
触れずとも、その姿をただ見つめるだけで、胸の奥がざわめき、心が軽やかに踊り出すのです。
持っていなくても、写真でその存在を目にするだけで、少年のような純粋な高鳴りが蘇る。
この世界で、こんなにも静かに、そして熱く心を揺さぶるカメラがほかにあるでしょうか。


ライカの佇まいは、時を超えた詩

その佇まいは、静謐で、凛としている。
声高に主張せず、ただ、そこに在るだけで時の流れを超越してしまうような存在感。
一瞬、視線が合ったら最後、その記憶は鮮烈に刻まれ、決して色あせることはない。
まるで時間が止まり、世界が静寂に包まれたかのような、そんな詩的な空気が漂っています。


撮らされるのではなく、自らの意思で“撮る”歓び

現代のカメラは、機能の塊で、賢く、多忙なマシンです。
被写体を見つければ、すぐに測光し、ピントを合わせ、AIが美しさを整えてくれます。
けれど、ふと立ち止まって問いかけるのです。
「これは果たして「自分で撮っている」と言えるのだろうか?」
と。

私は、目で見て、心で感じ、それを指先に集中させてシャッターを押したいのです。

その瞬間、カメラは確かにそこに存在します。

しかし、まるで空気のように無色透明、無味無臭にとけ込み、
目の前に広がる景色と自分だけが、その場に在るかのような感覚、
その景色には、人も、生命も、感情も、すべてが含まれているのです。

そんなとき、ライカは寄り添い、そっと語りかけるように、
ありのままを、感じたままを映し出してくれるのだと思います。
それは単なる道具ではなく、心の支えであり、指導者ですらあり、
ひょっとすると「心のメンター」というのが正しい表現かしれません。
それが、私が思うライカという存在なのです。


いつかその日を夢見て

いまはまだ、手にしてはいません。
しばらく手にすることはないでしょう。

けれど、その分だけ、理解できることがあります。

「撮らされる」のではなく、「自ら撮る」歓びを。
機能に頼るのではなく、感性を信じてシャッターを切ることの喜びを。
そして何より、ただ見つめているだけで
幸せを感じられるカメラ”ライカ”が存在するということを。

いつか、本当に手にできるその日まで。
この想いを胸に抱き、私は語り続けていくつもりです。


さいごに

いかがでしたでしょうか。
初回は、少々一方的に愛を語るばかりの内容になってしまいました。

思うがままに書き綴りましたので、
イマイチ言っていることがわからない部分があるのは
自分でも承知しているのですが、
今のありのままの気持ちを残しておきたく、
敢えてそのままの文章を投稿します。

お見苦しい箇所あったかと思いますが、ご了承ください。
もし、少しでも楽しんでいただけたのなら、
それほど嬉しいことはありません。

今後もこの「ライカを語る」シリーズは、不定期に続けていく予定です。
全5回ほどを想定していますが、
読んでくださる皆さまの反応を見ながら、
考えていくtつもりです。

最後に、ひとつだけお願いがあります。
“持たざる者”である私の愛が具現化し、
いつの日か“持つ者”に転生できるよう、
その一歩となるご支援を、もし可能であればお願いできれば幸いです。

ライカをご検討中の方がいらっしゃいましたら、
ぜひ以下のリンクからお求めいただければ、大変励みになります。

参考

M11シリーズのショップ別価格比較をしたい方は、下記リンクをご参照下さい。

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