情緒的・絵画的な写真に向かうための思考整理

マインド

はじめに

これまで長い間、ニコンZ6Ⅱを使ってきた。機材としての完成度に不満はない。むしろ逆で、よく写るし、安定しているし、どんな場面でも破綻しない。巷で言われるAFの弱さも私の使い方では気にならず、むしろ十分。

ただ、写りに関してはずっと拭えない違和感がある。

  • コントラストが強い
  • 発色がやや鮮やかで、整い過ぎている
  • 解像感が前に出てくる

いわゆる「良い画像」にはなる。でも、どこか“自分の写真ではない”感じが残る。綺麗なのに、記憶に残らない。言い換えると、写実的過ぎるということかもしれない。

これらはRAW現像でおおよそ解消できるものの、現像時のスタートと目指すゴールがかなり乖離している為、毎度苦労しているし、イメージしている理想の色には辿り着かないことがほとんどだ。

また、この違和感はSIGMA fpを併用するようになってから、より強く感じるようになった。

fpで感じた“しっくりくる感覚”

fpの写真は、ニコンと比べて”情報量は少ない”のだと思う。

  • コントラストは控えめ
  • 色はフラット
  • ハイライトがやわらかい

スペック的な優位性で言えば、むしろ不利な面もあるはずなのに、写ってくる写真には不思議な手触りがある。

それはたぶん、

いろんな意味で“余白がある”のだと思う。

情報で埋め尽くされていないから、光や空気、距離感が写真の中に残る。見たときに、説明ではなく感覚”で受け取ることができる。

同じ場所を撮っても、

  • ニコン → 記録(正確で綺麗)
  • fp → 記憶(曖昧だが頭に残る)

となることが多い。

私が求めているのは後者なんだと思う。

目指したいのは「情緒的・絵画的」な写真

言葉にすると薄っぺらいのだけれど、求めているのは“情緒的・絵画的”な雰囲気なんだと思う。

それを分解するとこうなる。

  • コントラストが強過ぎない
  • 中間調が滑らか
  • ピント面には空気感がある
  • ボケが主張しすぎない
  • 色はあっさり

要するに、「雰囲気で見せる写真」

だからfpがしっくりきたのは、至極当たり前のことなんだと思う。

問題は「どう再現性を持たせるか」

fpの描写は好きだが、すべてを任せられるかというと難しい。

  • AFは強くない
  • 歩留まりが高いとは言えない
  • 白飛びしやすい
  • 状況によっては不安が残る

つまり、

“当たれば強いが、安定しない”

超絶打率の低いホームランバッターのようだ。

ここをどう補うかが次の課題になる。

現時点での頭の整理

では、実際にどう使い分けるのか。

ここを曖昧にしたままだと、結局どちらも中途半端になる。

今のところ、自分の中ではこう整理している。

まずニコンは、「外さないためのカメラ」だ。

動きのある被写体。
一瞬で状況が変わる場面。
撮り直しが効かない状況。

例えば、スナップでも人の動きが絡むシーンや、
光が刻々と変わっていく夕暮れ時。

そういった場面では、迷わずニコンを選ぶ。

きちんとピントが合い、
意図したフレームで確実に切り取れること。

まずは“撮れていること”が最優先になる。

一方でfpは、「残し方を選ぶカメラ」だ。

時間に余裕があるとき。
光をじっくり見られる状況。
自分の中で「ここをどう写すか」を考えられる場面。

例えば、朝や夕方のやわらかい光の中での風景や、
何気ない日常の一コマ。

そういうときは、fpを選ぶ。

露出を追い込み、
ハイライトを丁寧に扱い、
その場の空気ごと掬い上げるように撮る。

結果として、歩留まりは下がる。
でも、その代わりに「これだ」と思える一枚が残る。

ニコンで10枚きちんと残すか、
fpで1枚強く残すか。

極端に言えば、その違いだ。

どちらが優れているという話ではない。

そもそも、役割が違う。

全部をfpで撮ろうとすれば疲弊するし、
全部をニコンで撮れば物足りなくなる。

だからこそ、最初から割り切る。

今日は何を撮りに行くのか。
何を持ち帰りたいのか。

それによって、持ち出す機材を決める。

あるいは、同じ場所でも、
「これはニコン」「これはfp」と、その場で切り替える。

そうやって使っていく中で、
自分の中の基準も、少しずつ固まっていくはずだ。

まだ”答えが出た”とは言えないが、
日々の撮影の中で意識し、方向性をまとめていきたい。

参考

fp(シグマ)
¥156,110 (2026/03/31 23:17時点 | Yahooショッピング調べ)

コメント