私はなぜ写真を撮るのか——答えのない旅の途中で

マインド

はじめに

写真を生業とする者でない限り、
それはただの趣味や記録なのかもしれません。
言わずもがな、私も含めてです。

でも、それは長い年月をかけて積み重ねてきた「問い」でもあります。
「なぜ自分は写真を撮るのか?」というシンプルながら深い問い。

この問いに対して、私はこれまでの経験や気づきを通じて、
自分なりの答えを探し続けてきました。

今回の記事では、その旅の途中で感じたことや考えたことを、
飾らず素直に綴ってみました。

少し立ち止まって、自分と向き合いたかったのです。


私はなぜ写真を撮るのか

学生時代から続く、カメラとの道のり

私と写真との付き合いは、学生時代にさかのぼります。

当時はスマートフォンなどなく、出かけるたびに「写ルンです」を持ち歩き、
今の妻と過ごす時間をフィルムに焼き付けていました。

現像が上がるたびに、
鮮やかな色や失敗写真を笑い合いながらめくるその時間もまた、
私にとって大切な思い出でした。

やがて就職し、結婚し、娘が生まれました。
その頃もカメラはコンパクトデジタルカメラ(いわゆるコンデジ)で、
生活の記録をこまめに残していました。

コンデジは3〜4代乗り継ぎ、家族で過ごす日々を毎日なく写し続けてきました。

娘が幼稚園に入ったころ、
私は初めて一眼レフカメラ——ニコンD5500——を手にしました。
単焦点レンズで撮る喜びも知り、大きくボケた背景の前に浮かび上がる娘の写真をみて、
自分自身でも驚き、感動したのを覚えています。

その後しばらく、富士フイルムのXシリーズをメインとし、
D5500と併用していた時期もありました。


表現の幅を広げたカメラたち

2021年、私はフルサイズミラーレスのニコンZ6IIを導入しました。

さらに妻用にとZfcも購入し、家族でカメラを持って出かける機会が増えました。
これをきっかけに、夜景や風景、街並みのスナップなど、
撮ることを目的としたお出かけや旅行が増えました。

そして2024年、SIGMA fpを導入しました。
これは完全に「撮影を目的に出かける楽しさ」に背中を押された結果でした。
機材の進化は、私の視野を広げてくれました。
今までは「記録」だった写真が、少しずつ「表現」へと変わっているのを感じました。


娘の成長とともに変わる被写体

何を撮っているのかと問われれば、答えは単純です。
大半が娘で、次が妻、
愛犬、愛鳥と続き、
そして、出かけた先や旅先の風景などです。

Z6IIを手にしてからは、夜景や風景、街のスナップの割合が増えてきました。

ただ一方で、娘はこの春からもう高校生です。

別々の時間を過ごすことが増え、
撮った写真の中に締める娘の割合は少しずつ減っていきました。
(受験生だった去年の今頃からその傾向はありました)

いつの間にか、私の中でカメラは「娘の成長を記録する為の道具」から、
「自分自身の何かを表現する道具」へと、ゆっくり軸足を移し始めていた。

うまく表せないのですが、
もう少し踏み込みますと、
「道具」より、「感覚器官のような、体の一部」
といった方がしっくりきます。


「何を表現したいのか?」という問い

そして、ある時ふと気づいたのです。

娘を撮る以外に、
自分は何をどう撮り、それを誰に届けたいのか?

そもそも、自分がそれをする必要があるのか?
そんな疑問が頭の中を回り始めたのです。

もちろん、答えはすぐには出ません。
しかし、ぼんやりと自覚していることがあります。

私はきっと、自分という存在がこの世界に確かにあったという証を残したいのです。
少し大げさに聞こえるかもしれません。

アマチュアで、勉強不足な私にとって分不相応な想いかもしれません。
それでも、この気持ちは否定できないのです。


揺らぎと不完全さの魅力

そんなとき、私はある明るい単焦点レンズと出会いました。
マニュアルフォーカスという制約はあるものの、
光と影をじっくり見つめ、
丁寧にピントを合わせる楽しさを教えてくれました。

大口径のレンズは光を豊かに取り込み、
開放で撮ったときのシャープな部分と柔らかなボケの対比が、
まるで写真に命が宿るかのような感覚をもたらしてくれます。

その描写は完璧とは言えないわずかな揺らぎや不完全さを含みますが、
むしろそれが温かみとなって、見る者の心に深く響く魅力となっていました。

「技術的に美しい写真」と「心に響く写真」は必ずしも同じではない──
そんな気づきを与えてくれた一本でした。

そしてそんな情緒溢れる一枚を
私は追い求めているのだなと、
何となく感じたのでした。


答えのない旅を続ける理由

ここまで読んでいただいて恐縮ですが、
答えはまだ見つかっていません。

何を表現したいのか、誰に届けたいのか、明確に分かる日が来るのかも分かりません。
しかし、この曖昧さが今の私を動かしています。

カメラを手にすると、
目の前の光や影、揺れる風や人の仕草が、
いつもより少しだけ鮮やかに映るように感じます。
その瞬間を捉えたいと思います
——それだけで、十分にシャッターを押す理由になるのですから。

たぶん私は、この問いを抱えたまま、これからも撮り続けると思います。
その先にある「これだ」と思える景色を探すために。

そして、たとえ見つからなくても、
歩んだ道のりそのものが、きっと私の写真になるのだと思います。


おわりに

写真を撮る理由は人それぞれ違いますし、
答えがひとつに決まることもないでしょう。

それでも、私にとって写真とは、
ただの道具や技術を超えた、
自分の感性と向き合う手段であり、
日常の中で見過ごしがちな「瞬間」や「情緒」を丁寧にすくい取る行為です。

これからもこの問いを胸に、カメラを手に歩き続けたいと思います。

今回は、いつも以上にとりとめのない文章になってしまいました。
貴重な時間を割き、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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